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東京地方裁判所 平成7年(合わ)186号 判決 1996年6月26日

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中二八〇日を刑に算入する。

この裁判の確定した日から五年間刑の執行を猶予する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、昭和六二年五月、当時のオウム神仙の会(同年七月に「オウム真理教」と名称変更。以下、「教団」という。)に入信し、同年一一月には、いわゆる出家信者となったが、その後は、いわゆる下向(在家信者となること)と出家を繰り返し、平成四年に教団を脱会してからは、教団との接触を断っていた。

被告人の母親であるB子は、昭和六二年ころからパーキンソン病に罹患し、通院治療を受けていたが、病状が好転しなかったところ、当時教団の出家信者であった被告人及び同じく教団信者のCに勧められて教団に入信し、平成三年一一月には、オウム真理教附属医院(以下、「附属医院」という。)に入院した。B子は、附属医院において、投薬治療を受けるとともに、摂氏四七度の湯に繰り返し入る温熱療法と称する教団独自の治療を受けたが、病状は好転せず、平成五年一二月末からは、山梨県西八代郡上九一色村富士ケ嶺三九番地の一の二にある第六サティアンと称する教団施設(以下、「第六サティアン」という。)に移り、同所で治療を受けていた。

D(昭和三九年一一月一三日生)は、平成二年ころ、教団の出家信者となり、同年一〇月からは、附属医院において薬剤師をしていた。その間、Dは、教団関係施設の建設工事の際に被告人と知り合い、また、附属医院において、B子の治療等にも携わっていたことから、被告人の父親であるEとも面識があった。Dは、平成六年一月二二日ころ、教団に対して不信感を抱くなどしたことから教団を離脱し、実母の元に身を寄せたが、かねてから附属病院でのB子に対する治療方法に疑問を持っていたため、そのころE方を訪れ、同人に対して、教団の治療方法ではB子の病状は悪くなる一方であるから、教団施設から同女を連れ出し、別途治療した方がよいと持ちかけ、Eに、同女を教団施設から連れ出すことに協力する旨約束させ、その後、被告人にも同様に訴えて、その協力を求めた。被告人は、教団と接触することを極度に避けており、同棲していた女性との生活を壊されたくないという思いが強かったことから、Dの申し出を迷惑に感じたが、B子を附属病院に入院させた責任の一端が被告人にあることから、結局これを承諾した。そこで、被告人、D、Eの三名は、同年一月二九日夜、E所有の普通乗用自動車で前記第六サティアンに向かい、翌同月三〇日未明、同所付近に到着した。そして、被告人とDは、B子を教団施設から連れ出すため、Dの用意したクルタと称する教団信者の着る服に着替え、Dの用意した催涙スプレーや火炎瓶等を持って、第六サティアンに忍び込んだ。

被告人とDは、同サティアン三階の医務室でB子を発見し、二人で同女を抱きかかえて同サティアン外に連れ出そうとしたが、途中で同サティアン内にいる信者らに発見され、信者らに催涙スプレーを噴きかけるなどして抵抗したものの、結局は取り押さえられ、それぞれ両手に前手錠を掛けられ、ガムテープで口を塞がれるなどされたうえ、教団代表者であったAの指示により、同村富士ヶ嶺一一五三番地の二にある第二サティアンと称する教団施設(以下、「第二サティアン」という。)三階に連行され、同所で信者らに囲まれたまま待機させられた。

他方、教団信者のFから、第六サティアンに侵入した被告人及びDを取り押さえた旨の報告を受け、被告人らを第二サティアンに連行するよう指示したAは、妻のGに先導させ、教団信者であるHに車を運転させて第二サティアンに向かい、同サティアン三階にある「尊師の部屋」と呼ばれる瞑想室に入った。その後、同室内に、いずれも教団信者で幹部でもあるG、Hのほか、I、F、Jらが、順次集まった。Aは、Fらから、被告人及びDの第六サティアンでの行動、所持品等について報告を受けてから、教団に敵対する教団破壊行動をとった被告人及びDの処分について、一旦は被告人ら二名を殺害するしかないかという趣旨の意見を述べたうえ、Iらの意見を求め、I、Fらからも、これに賛成する旨の意見を得たが、Aは、「もし、X<被告人>がDとB子との関係を知らないとするなら、XもDに騙された被害者である。カルマからいって、XがDをポアすべきである。」と言って、その場にいた教団幹部に対し、被告人がDとB子との関係を知らなかったならば、被告人にDを殺させてこの件を処理するとの考えを示した。その場にいた教団幹部の中で、Aのこの意見に反対する者はいなかった。その後、Aは、被告人を室内に呼び入れるよう指示した。

被告人は、Kらに連れられて同室内に入れられ、Aの面前に座らされた。同室は、前記のとおり、教団施設内にあり、外部との連絡を取れる状態ではなく、また、被告人は、口に張られたガムテープは取っていたものの、依然として両手に前手錠をされ、しかも、周囲をその場にいた教団幹部に取り囲まれ、同室内に監禁された状態であった。

被告人が室内に連れてこられると、Aは、被告人に対し、DがB子を連れ出そうとした理由について尋ねたが、被告人が分からないと答えたことから、予定どおり被告人をしてDを殺害させようと考え、DはB子と関係を持っていたなどとD及びB子のことを悪し様に述べ立てたうえ、被告人に対し、お前はDの言うことを信じて大きな悪業を積んだなどと言った後、「お前はちゃんと家に帰してやるから、心配するな。大丈夫だ。」「ただ、それには条件がある。」「お前がDを殺すことだ。それができなければ、お前もここで殺す。できるか。」などと言って、被告人を解放する条件としてDを殺害するように言った。さらに、Aは、黙っている被告人に対し、「Dはお前のお袋さんを巻き込んで戒律を破ったばかりではなく、お前を騙して、お前にも大きな悪業を積ませた。だからポアしなければならない、分かるな。」などと言って、D殺害の教義上の正当性を説明し、時間稼ぎをしようとする被告人に対して、D殺害を決意するように促した。この時点では、Aは、被告人に対し、Dを殺害するように説得している状態であり、被告人がそれを拒んだとしても、ただちに被告人が殺害される危険性まではなかったものの、被告人の第六サティアンへの侵入行為が教団破壊行為であったことから、被告人があくまでもD殺害を拒否し続けたならば、被告人自身も殺害される危険性のある状態であったほか、前述のとおり、被告人は、Aらに身体を拘束されている状態であった。

このような状態下において、被告人は、Aから、さらにD殺害の決意を促されたため、これを拒否してもただちに自己が殺害されることはないと思いつつも、Dを殺害しさえすれば、自分は無事にこの場から解放されて自宅に戻れるものと考え、Aに対し、本当に自宅に帰れるのかどうかの念を押し、Aから約束する旨の回答を得たことから、Dの殺害を決意した。そして、Aに対して、「それじゃあ分かりました。」と言って、Dの殺害を承諾する旨の返事をし、ここに被告人、A及びその場にいたI、Fら教団幹部との間で、Dを殺害する旨の共謀が成立した。

(犯罪事実)

被告人は、前記の経緯により、A、I、Fら教団幹部及びその後「尊師の部屋」に来た同じく教団幹部であるLとD殺害を共謀のうえ、平成六年一月三〇日未明、前記第二サティアン三階「尊師の部屋」において、Fら教団幹部が準備したビニールシート上に前手錠を掛けられて座らされていたD(当時二九歳)に対し、同じく教団幹部が準備したガムテープをDの顔面に張り付けて目隠しをし、頭部にビニール袋を被せたうえ、Aの指示により、ビニール袋内に催涙スプレーを噴射し、さらに、被告人は、前記のとおり、Aらにより身体を拘束され、被告人の対応いかんによっては被告人自身も殺害される危険性もあり得る状況下で、自己の身体の自由に対する現在の危難を避けるために、その避けようとした害の程度を超え、苦しがって暴れるDの身体をその場にいた教団幹部が押さえ付ける中、Aの指示により、教団幹部が準備したロープをDの頚部に巻き付けたうえ、殺意をもって、前手錠をされた両手で締め付け、続いて、ロープの一方に右足をかけ、他方を両手で引っ張るなどしてDの頚部を締め続け、よって、そのころ、同所において、Dを窒息死させて殺害した。

(証拠)<省略>

(弁護人の主張に対する判断)

第一  当事者の主張の要旨

一  被告人及び弁護人の主張の要旨

1 被告人は、被告人自身がDの頚部にロープを巻いて締め付け、同人を窒息死させたとの外形的事実は認めるものの、被告人において、Aや教団信者らとDを殺害する旨の共謀をしたことはなく、被告人は、Aから、Dを殺さなければお前を殺すと脅され、Aに命ぜられるままにDを殺害してしまったのであって、被告人にとっては、Dを殺害する以外に生きられる途がなかったと供述する。

2 弁護人も、被告人の供述に依拠し、被告人は、Aと共謀してDを殺害しようと企てたことはないと主張するほか、以下のとおり主張する。

(1) 被告人は、病気療養中のためとして事実上教団施設内に監禁されていた被告人の母親を救出するため、Dに誘われて同人と共に第六サティアンに忍び込んだところを発見されて逮捕され、手錠を掛けられたうえ第二サティアン三階の「尊師の部屋」に連れ込まれ、Aの面前において教団幹部数名に取り囲まれ、Aから「お前は大きな悪業を積んだ。地獄に落ちるぞ。」、「お前を家に帰してやる。しかし、それには条件がある。それは、お前がDを殺すことだ。それができなければ、お前もここで殺す。」などと命令され、Dの殺害を拒否すれば自分が殺されるとの恐怖心から、Aに命ぜられるまま、A及び被告人を取り囲む教団幹部数名に強制されてDを殺害するに至ったものであるところ、Aは、被告人がDを殺害せよとのAの命令を拒否したときには被告人を殺害しようという意思を有していたと認められ、教団の教義、教団内におけるAの絶対性、さらに、本件が教団の施設内という密室で行われたことなどを考慮すると、本件当時の状況として、被告人がDの殺害を拒否すれば被告人自身が殺されたであろうことは客観的に明らかであり、被告人には、Dを殺害するよりほかに自己の生命に対する危険を避ける方法がなかったのであるから、被告人の行為は、緊急避難に該当し、違法性が阻却されるので、被告人は無罪である。

(2) また、被告人は、AからDを殺害するように命ぜられた時点では、これを拒否すれば被告人自身が殺害されると認識し、被告人自身が殺害されるのを回避するためにDを殺害したのであるから、被告人の主観面においては、緊急避難の要件に該当する事実を認識し、避難の意思をもってDの殺害行為に及んだということができ、このような場合には、責任領域の故意が阻却されるのであるから、被告人は無罪である。

(3) さらに、本件当時の客観的状況及び被告人の主観的心理状態にかんがみれば、Aの命令に反抗してDの殺害を拒否することを被告人に期待することは不可能であり、適法行為の期待可能性が存在しないのであるから、責任が阻却され、被告人は無罪である。

二  検察官の主張の要旨

これに対し、検察官は、本件当時、被告人の自由に対する現在の危難が存することは争わないものの、<1>Aが被告人に対してDを殺害するように言った時点では、すでに、Aにおいて被告人を殺害することはやめ、Dのみを殺害する意図を有していたのであり、Aが被告人に対し、「Dを殺さなければ、お前を殺す。」などと述べた事実も認められないのであるから、本件当時、被告人の生命に対する現在の危難は認められず、したがって、緊急避難は成立しない。また、<2>被告人の身体の自由に対する現在の危難は存在するものの、被告人は、Aに対しD殺害を翻意するよう働きかけるなどDを殺害せずに済ませるための努力を全くしておらず、結果を回避するため十分な手だてを尽くしたとはいえないのであるから、被告人の行為が緊急避難の要件である補充性をみたしているとはいえないし、被告人の身体の自由に対する現在の危難を避けるためにDの生命を奪うということは、法益の権衡を著しく失しているのであるから、被告人の行為は避難行為の相当性をも欠いているというべきであって、緊急避難はもちろん過剰避難も成立しない。さらに、<3>本件当時、Aには被告人を殺害する意図がなかったばかりか、被告人を殺害できる客観的な状況にもなかったうえ、被告人に対し、Dを殺害しなければ被告人を殺すと脅迫したり、凶器を突き付けたりすることもなく、被告人自身も、自分まで殺害されることはあるまいと思いながら、その保証が見えないことなどもあってDの殺害を決意したと認められるのであり、右の状況からすれば、本件では、未だAに対しDの殺害を翻意させるなどしてDを救済する努力を行うことを期待できないほどの極限状態にあったとはいえず、適法行為の期待可能性も存在するというべきである。したがって、被告人には、Aらとの共謀による殺人罪が成立すると主張する。

三  そこで、以下において、<1>被告人とAらのD殺害についての共謀の有無、<2>緊急避難、過剰避難の成否、<3>適法行為の期待可能性の有無について、当裁判所の判断を説明することとする。

第二  判断の前提となる事実関係

一  被告人がDを殺害するに至った経緯、殺害状況は判示のとおりであるが、今少し詳細に事実関係を検討すると、関係証拠によれば、以下の事実を認めることができる。

(1) 被告人とDは、被告人の母親であるB子を救出すべく、平成六年一月三〇日午前三時ころ第六サティアン内に忍び込み、同サティアン三階の医務室内でB子を発見して、二人で同女を同サティアン外に連れ出そうとしたが、途中で信者らに発見され、B子を取り戻されてしまった。

(2) 被告人とDは、信者らに対して催涙スプレーを噴射するなどして抵抗したが、結局、取り押さえられ、その場にいたFの指示によりそれぞれ両手に前手錠を掛けられ、ガムテープで口を塞がれたうえ、Aの指示を受けたFらによりワゴン車に乗せられ、第二サティアンに連行された。

(3) 他方、Fらから被告人とDが第六サティアンに侵入した旨の報告を受けたAは、Fに対し被告人らを第二サティアンに連行するよう指示した後、Gに先導させ、Hの運転する車で第二サティアンに赴いたが、その車中において、厳しい表情で「今から処刑を行う。」と言った。

(4) Aは、第二サティアンに到着すると、Gに先導させて同サティアン三階の「尊師の部屋」と称する瞑想室(東西一一・八五メートル、南北七・一二メートルの広さのほぼ長方形の部屋であり、入口には二重のドアの設備がある。)に入り、Fらから経過の報告を受けた後、同所に集まった教団幹部であるI、F、J、Hら七名位の者に対し、被告人及びDの処分について、二人を殺害するしかないかという趣旨のことを述べて意見を求めたところ、I、Fらから殺害するしかない旨の積極的な意見があり、他の者もこの意見に同調し、異を唱える者は誰もいなかった。

なお、Fらが本件の経過を説明する際、被告人らから取り上げた所持品についての説明もあり、これらの品物は「尊師の部屋」の入り口付近に並べられていたが、その中には、催涙スプレーなどと並んで、Dが持参したサバイバルナイフ様の刃物も含まれていた。

(5) Aは、教団幹部の意見を聞いた後、「もし、X<被告人>がDとB子との関係を知らないとするなら、XもDに騙された被害者である。カルマからいって、XがDをポアすべきである。」などと言い、被告人が、DとB子との交際状況等を知らないままDと共に第六サティアンに侵入したのであれば、被告人自身もDに騙された被害者といえるのであるから、その場合には、被告人を殺害するのではなく、教団の教義からして、Dに騙されて悪業を行った被告人にDを殺害させるできであるとの考えを述べ、この点を確かめるべく、被告人一人を先に入室させた。なお、Aの意見に異を唱える教団幹部はいなかった。

(6) 第二サティアン三階で信者に監視されて待機させられていた被告人は、Fらに呼ばれて「尊師の部屋」に入れられ、Aの面前に座らされたうえ、周囲をその場にいた一〇名近くの教団幹部に取り囲まれた。なお、その当時、被告人は、口を塞がれていたガムテープは取られていたものの、依然として、両手に前手錠を掛けられた状態であった。

(7) Aは、被告人に対し、普通の声の調子で、なぜこのような行為に及んだのかを尋ねた後、DがB子を連れ戻そうとした理由を知っているかを尋ねたが、これに対し、被告人が分からない旨答えたことから、Aは、予定通り被告人をしてDを殺害させることにした。

(8) そこで、Aは、被告人に対し、DがB子と関係を持っており、そのため教団がDとB子を引き離したところ、Dはこれを不服に思ってB子を取り戻そうとした、DはB子を取り戻した後、B子と結婚するつもりであったなどとDやB子のことを悪し様に述べ立てたうえ、被告人は、そのようなDのいうことを信じて大きな悪業を積んだ、この悪業はちょっとやそっとのことでは落とすことができないなどと言った。被告人がAの言葉に対して反論をせず、相槌を打ちながら話を聞いていると、Aは、「お前はちゃんと家に帰してやるから心配するな。大丈夫だ。」などと言い、この言葉に被告人が礼を述べると、「ただそれには条件がある。なんだか分かるか。」などと言った後、「また、一生懸命修行することですか。」との被告人の言葉に応じ、「それもある。」「それもあるが、それとな。」「それと、お前がDを殺すことだ。」と言った。さらに、Aは、黙っている被告人に対し、続けて、「なぜならば、Dはお前のお袋さんを巻き込んで戒律を破ったばかりではなく、お前を騙して、お前にも大きな悪業を積ませた。だから、ポアしなければいけない。分かるな。」などと、被告人がDを殺害しなければならない必要性、正当性を説明した。

なお、この時点においても、被告人の周囲にいた教団幹部に、Aの言葉に対して異論を述べる者はいなかった。

(9) Aの右の言葉に対し、被告人が本当に家に帰してもらえるのかを尋ねたところ、Aは、「私が嘘をついたことがあるか。」などと応じ、結論を先延ばしにしようとする被告人が、少し考える時間が欲しいと言ったのに対しても、「いや、だめだ。今直ぐ決めろ」と言って、被告人にD殺害を承諾するよう促した。

(10) 被告人が結論を出せないでいると、Aは、第六サティアンから第二サティアンに移動する際に気付いた栃木ナンパーの車について、この車が被告人らが乗ってきた車かどうかを尋ね、被告人が父親の車であると答えたことから、さらに、被告人が運転してきたのかを尋ねた。被告人は、父親と一緒に来ていることを話したならば、父親や一緒に来ている弟の身に危害が及ぶかもしれないとは思ったものの、自らの身の安全を図り、D殺害という条件もなくなることを期待して、あえて父親が同行していることを教え、父親は車に乗っていると思うと告げた。

(11) しかしながら、Aは、被告人に対し、「お前の親父さんがいようがいまいが関係ない。お前はDを殺すんだぞ。どうする。」などと言ってきたため、被告人は、本当に家に帰してもらえるのかAに確認し、Aから「それは約束する。」と言われたことから、Dを殺害すれば身体の拘束を解かれて家に帰れるものと考え、Dの殺害を決意し、「それじゃあ、分かりました。」などと言ってDの殺害を承諾した。

(12) その後、被告人は、Aの指示に従い、室内に連れてこられたDの頭部にビニール袋を被せ、その中に催涙スプレーを噴射するなどしたうえ、暴れるDを教団幹部に押さえ付けてもらったうえ、用意されたロープをDの頚部に巻いて締め付けた。しかし、被告人は、両手に前手錠を掛けられたままの状態であったことから、なかなかDを絞殺できないでいたところ、Aから、「これでDを殺せなかったらお前のカルマだから諦めろ。」と言われた。そのため、被告人は、周囲にいた教団幹部の指示により、二つ折りにしたロープの一端の輪の部分に右足をかけ、他の端を手錠を掛けられたままの両手で持ってDの頚部を絞め続け、Dを窒息死させた。

(13) Dを殺害してから、被告人はAらから口止めをされるなどした後、ようやく手錠をはずされて解放された。

以上の事実関係については、当事者間に特段の争いはない。

二  ところで、被告人は、当公判廷において、Aが被告人に対し、被告人を家に帰す条件として、被告人においてDを殺害するように命じた際、Aから、「お前がDを殺すことだ。」という言葉に続けて、「できなければ、お前も殺す。」と言われた。この言葉は特に印象に残っていて、表情から声色からすべて鮮明に今でも浮かんでくるので間違いないなどと供述する。これに対し、検察官は、右のような言葉をAから言われたと断言できるだけの記憶はない旨録取された被告人の検察官調書及びAの右言辞を否定するJ、Hの検察官調書に依拠し、あるいは、捜査段階における被告人のこの点に関する供述に変遷があることなどを理由に、被告人の公判供述は信用できないと主張する。そこで、被告人がAから「できなければ、お前も殺す。」と言われたか否かについて検討する。

1 まず、この点に関する被告人の供述状況をみるに、被告人が本件で通常逮捕された当日である平成七年六月一三日付けの警察官調書<略>においては、「尊師の部屋」と呼ばれる部屋に入れられ、Aの前に正座していると、同人から、「お前は、間違いなく地獄に落ちるぞ。お前が選ぶ道は、二つに一つしかない。一つはDを殺して家に帰るか、Dを殺せなければお前もその場で殺す。」と言われた旨供述しており、同月二五日付けの警察官調書<略>では、入室後のAとのやり取りについて詳細な供述をしたうえ、Aから「お前はちゃんと家に帰してやるから大丈夫だ、安心しろ。」「しかし、それには条件がある。何だか分かるか。」と言われた後、「それはお前がDを殺すことだ。それができなければお前もここで殺す。できるか。」と言われた旨、当公判廷と同様の供述をしている。一方、同月三〇日付けの検察官調書<略>では、入室後の被告人のやり取りについて同月二五日付けの警察官調書<略>とほぼ同様の供述内容が録取されているが、「それができなければ、お前もここで殺す。できるか。」と言われたか否かという点に関する部分については供述内容が後退し、Aから、そのように言われたような気がするが、Aが実際にこの言葉を言ったと断言できるだけの記憶はない旨供述し、それに続いて、「しかし、私は、私自身の気が小さいせいもあるのですが、Aの言うとおり、Dを殺さなければ、私も殺されるかもしれないという身の危険を感じた覚えがあり、それでAから、『それができなければ、お前もここで殺す。』と言われたような気がするのです。」と供述している。しかし、右検察官調書録取後の同年七月二日に被告人立会いのもとで行われた犯行再現の実況見分調書<略>には、被告人の指示説明として、Aから、「お前が選ぶ道は、二つに一つしかない。Dを殺して家に帰るか、Dを殺せなければお前もその場で殺す。」と言われた旨の記載があり、右実況見分の際には、再び、被告人は「Dを殺せなければお前もその場で殺す。」と言われた旨の説明をしていたことが認められる。

2 また、被告人は、当公判廷において、検察官調書<略>に前記のとおり録取されたにもかかわらず、署名指印をした理由について、被告人としては、検察官に対しても一貫してAからそれができなければお前も殺す旨言われたと供述したが、検察官からは、Aの性格からいって同人がそのようなことを言うはずがないとか、他の教団幹部は一切そういう話をしていないとか、お前が怖くて心の中でそういうふうにただ思い込んだだけではないのかとか、一年も前の話をビデオに撮ったわけでもないし、テープで残ってるわけでもないのになぜそこまで確信を持って言えるんだなどと言われ、だんだん弱気になり、自信がなくなったことと、記憶というものの性質自体曖昧なものであることから、恐怖で自分でそう思い込んだだけではないかとの検察官の質問に対し、そういう可能性もないわけではないと答えたところ、そのような調書になったと説明する。

3(1) 被告人のこのような捜査段階での供述と公判供述を比較すると、捜査段階での供述中に公判供述と同様の供述をしているものもある一方で、細かな表現を問題とすれば公判供述と異なる供述をしているものもあり、検察官は、この点をとらえ、被告人がAの表情から声色から明瞭に覚えていると供述しながら、その供述内容が必ずしも一貫していないことから、被告人の公判供述は信用できないと主張する。しかしながら、供述調書や実況見分調書は、その性格からして、必ずしも被告人の供述や指示説明を逐語的に録取するものではなく、供述の一貫性を検討する際には、言葉の細かな表現よりも、言わんとする趣旨の一貫性を重視すべきであろう。この点からすれば、AからDを殺害できなければ被告人を殺すと言われたという基本的な部分では警察官調書、実況見分調書の記載と公判供述とは、その趣旨において一貫しており、また、検察官調書の記載自体から、被告人が検察官に対しても、Aから「それができなければお前もここで殺す。」と言われた旨の説明をしたことが認められるのであるから、結局、被告人の捜査官に対する供述内容そのものは、逮捕された当初から一貫していると評価してよいと考えられる(被告人の検察官調書においては、確実にAから言われたか否かという記憶の確実性に関する供述内容に後退がみられるが、同じ状況を録取した警察官調書と検察官調書を比較し、主としてAのこの言葉の有無に関する部分についての記載が警察官調書と異なっていることからすると、検察官調書のように記載されるまでの過程では、検察官と被告人との間である程度のやり取りが行われたと考えられ、供述内容が後退したことに関する被告人の説明も具体的であること、検察官調書録取後の実況見分時点で、再度、被告人がAからDを殺せなければお前を殺すと言われた旨の説明をしていることからして、被告人の説明する供述後退の理由も一応合理的なものといえる。)。

(2) そして、前記認定のとおり、Aは、「もしX<被告人>がDとB子との関係を知らないとするなら、X<被告人>もDに騙された被害者である。カルマからいってXがDをポアすべきである。」などと言って、被告人にDを殺させることの教義上の正当性をその場にいた信者らに説明しており、被告人に対しても、DがB子と関係を持っていたなどとDを悪し様に言った後、「間違いなく地獄に落ちるぞ。」などと脅したりしながら、被告人がD殺害を決意するよう仕向けていることが認められるのであって、この過程で、Aの口から、「できなければ、お前も殺す。」という趣旨の言葉が出たとしても、この状況における一連の流れからして、特に不自然であるとはいえない。むしろ、前記認定のとおり、Aは、Dをなかなか絞殺できないでいる被告人に対し、「これでDを殺せなかったらお前のカルマだから諦めろ。」と言っていることが認められるが、この言葉は、被告人のD殺害行為が、被告人の犯した悪業(カルマ)を落とすための行為であり、それができなければ、被告人のカルマを落とすためには被告人が殺されてもやむを得ないという趣旨と解されるのであるから、被告人の殺害行為の途中でAがこのような意味の言葉を述べていることからすると、同人が被告人にD殺害を決意させる過程において、Dを殺さなければ被告人を殺すという趣旨の言葉を発することは十分にあり得るものと考えられるのであって、このことは、被告人の供述の信用性を高めるものといえる。

(3) さらに、Aと被告人とのやり取りを見聞きしていたMも、検察官に対し、Aが被告人に「Dを殺して帰るか、それとも二人とも死ぬか。」などと言ったと供述しており、このAの言葉は、被告人の述べるところと趣旨が一致しているところ、Mが特に被告人のことを庇ったり、擁護したりするような関係にないことを考慮すると、Mがこのような供述をしていることは、「できなければ、お前も殺す。」とAから言われた旨の被告人の供述の信用性を高めるものといえる。

(4) もっとも、Mと同様に現場にいたJ及びHは、検察官に対して、AはDを殺さなければ被告人を殺すという発言はしていないと供述する。これらの供述は、事件から一年半近く経過した後にされたものであり、記憶の正確性という点では被告人やMの供述とあまり優劣はないと考えられるものの、一般的に、ある供述がなかったということの記憶は、特にその供述がなかったこと自体が印象的なことであるといった事情等がない限り、曖昧にならざるを得ないものであるところ、J、Hの検察官に対する供述は、いずれも、Aがそのようなことは言わなかったというのみで、そのような発言がなかったことに違和感を感じるなど、特にJらの印象に残ったことを基礎づけるような供述は一切されていないのであるから、J、Hの検察官に対する供述から、Aが被告人に対し「それができなければ、お前を殺す。」とは言わなかったと認めることには、なお、躊躇を覚えるといわざるを得ない。

4 以上のとおり、被告人の供述は逮捕当初から一貫していること、その場の状況からして、Aが被告人に対して「それができなければ、お前も殺す。」と言ったとしても不自然ではなく、むしろ、そのような趣旨の発言をすることは十分あり得ること、現場にいたMも被告人と同趣旨の供述をしていること、被告人の供述を否定するJ及びHの検察官に対する供述から、ただちに被告人の供述を否定することもできないことなどを考慮すると、被告人の供述は一応信用してよいと考えられるから、以下においては、Aが被告人に対し、被告人を家に帰す条件としてDを殺害するように命じた際、被告人は、Aから「お前がDを殺すことだ。できなければ、お前も殺す。」と言われたことを前提として検討することとする。

第三  当裁判所の判断

一  共謀の有無について

(1) 前記第二で認定した事実関係からすると、<1>第二サティアン三階の「尊師の部屋」と呼ばれる瞑想室において、Aは、その場に集まった教団幹部であるI、Fらに対し被告人らの処分について意見を求め、被告人、Dを殺害すべきであるとの幹部らの意見を踏まえたうえ、被告人がDとB子との関係を知らなかったのであれば、被告人もDに騙された被害者であるから、被告人にDを殺害させることにしたこと、<2>その場に集まった教団幹部の中で、Aの意見に反対する者は誰もいなかったこと、<3>その後、被告人が一人で右室内に入れられ、AからDとB子との関係について確認されたこと、<4>これに対し、被告人が分からないと答えたことから、Aは、被告人にDを殺害させることとし、被告人に対して、被告人を家に帰してやるが、その条件としてDを殺害するように言ったこと、<5>この時点においても、周囲にいた教団幹部に異論を唱える者はいなかったこと、<6>被告人は、Dを殺害することが教団としての制裁行為であることを認識したうえ、Aとのやり取りの結果、被告人自らの意思でDを殺害することを承諾し、その場にいた教団幹部に暴れるDの身体を押さえ付けてもらいながら、同人の頚部をロープで締め付けて窒息死させたことなどの事実が認められる。

(2) 右の事実関係に照らせば、被告人に殺人の故意が認められることは明らかであるとともに、Dの殺害は、教団に対して敵対行動をとったDに対する教団としての制裁行為であり、これを被告人に対して行うように命じたAに、被告人をしてDを殺害させることによってDを亡きものにしようとする意図、すなわち、被告人の行為を自己の行為としてDの殺害行為を遂行しようとする意図があったことも明らかである。その場にいた教団幹部も、このAの意図を認識しながらこれに異を唱えず、被告人がDの頚部を締め付けるなどしているときに、暴れるDの身体を押さえ付けるなどしていること、被告人自身も、Aの意図を認識し、被告人がDを殺害することが教団としてのDに対する制裁行為になることを認識しながら、結局、Aの指示に従ってDを殺害していることが認められるのであるから、被告人とA及びその場にいた教団幹部との間に、Dを殺害することについての事前の共謀が成立していたことは、十分にこれを認めることができる。

二  緊急避難の成否について

1 前記第二認定の事実関係によると、被告人は、教団の施設である第二サティアン内「尊師の部屋」において、両手に前手錠をされたうえ、Aの面前において、その周囲を一〇名近くの教団幹部に囲まれた状態で、AからDを殺害するよう命ぜられてこれを決意し、その後、同室内で、同様に教団幹部が周囲にいる中、前手錠をされたままの状態でD殺害行為に及んでいることが認められる。したがって、被告人は、Aらに不法に監禁された状態下で、Dの殺害を決意し、その殺害行為に及んだものであるから、右時点において、少なくとも、被告人の身体の自由に対する現在の危難が存在したことは明らかである。

2 ところで、弁護人及び被告人は、被告人がDの殺害を決意し、殺害行為に及んだ時点では、被告人の身体の自由に対する現在の危難だけでなく、被告人の生命に対する現在の危難が存在したと主張するので、この点について検討する。

(1) まず、右時点で被告人のおかれた客観的な状況をみるに、前記のとおり、被告人は、外部と遮断された教団施設内で手錠を掛けられ、周囲を教団幹部に囲まれるなど監禁された状態にあったことが認められるほか、被告人を取り囲んでいた教団幹部は、いわゆる教祖であるAを絶対視し、その命令を絶対のものと受け止めて行動するAの信者であったこと、このような状態下で、被告人は、AからDを殺害するように命ぜられ、それができなければ被告人自身を殺すと言われたこと、また、室内の入り口方向には、被告人、Dが教団施設内に立ち入る際に所持してきた品物が並べられており、その中には、Dが持参したサバイバルナイフ様の刃物等もあったことなどが認められる。

また、関係証拠によれば、Dと被告人が教団施設内に立ち入ってB子を連れ出そうとした行為、及び教団の信者らに取り押さえられた際、持参した催涙スプレーを噴射するなどして抵抗した行為は、教団破壊行為であり、教団内においては、いわゆる五逆の大罪といわれるものの一つに該当する極めて大きな悪業であって、このような悪業を積んだ者は殺害しても本人の利益になるという教えがあること、被告人を囲んでいた教団幹部は、この教えを信じており、実際にこの教えを実践した者もいたこと、本件当時、第二サティアンの地下室には、マイクロ波を用いた死体焼却設備が設置されていたことなどの事実が認められる。

これらの事実関係に、前記第二認定のとおり、第六サティアンから第二サティアンに移動する車中で、AがHに対し、「今から処刑を行う。」と言っていること、また、第二サティアン三階の「尊師の部屋」において、Aが、その場に集まった教団幹部に対し、Dと被告人の二人とも殺害するほかないかという趣旨のことを述べて幹部らの意見を徴していることなどを考慮すると、Aの意思いかんによっては、被告人も殺害される可能性があったことは否定できない。

(2) しかしながら、前記第二で認定したとおり、Aは、その場に集まった教団幹部の意見を徴した後、自ら教団の教えであるカルマの法則を持ち出し、被告人がDとB子との関係を知らないとするなら被告人もDに騙された被害者であるから、カルマからいって被告人がDを殺すべきであるとし、先に入室させた被告人に対し、DとB子の関係を知っているか否かを確認したところ、被告人が分からない旨を答えているのであるから、Aとしても、この時点においては、被告人を殺害するのではなく、被告人をしてDを殺害させようとの意図であったと推認することができる。実際にも、前記第二で認定したとおり、被告人が分からないと答えた後、Aは、DがB子と関係を持っているなどとDやB子のことを悪し様に言い、さらに、そのようなDの言うことを信用して被告人がこのように大きな悪業を積んだなどと言っており、Dの行動に対して立腹するよう被告人に話をしていること、その後、Aは、「お前はちゃんと家に帰してやるから心配するな。」などと言って被告人を安心させたうえ、その条件としてD殺害を持ち出していること、前記認定のとおり、Aは、被告人に対し、Dを殺害するように言ったほか、「できなければ、お前も殺す。」と言ったことは認められるが、それに続けて、「なぜなら、Dはお前のお袋さんを巻き込んで戒律を破ったばかりではなく、お前を騙して、お前にも大きな悪業を積ませた。だから、ポア(この場合は、殺害を意味する。)しなければいけない。分かるな。」などと言って、被告人がDを殺害しなければならない理由、教義上の正当性を説いて聞かせていることなどが認められるのである。そして、関係証拠によれば、被告人の周囲にいた教団幹部も、被告人がDとB子の関係を知らないと言ってからは、殺害されるのはDだけであり、被告人が殺害されることはないとの認識で、被告人がDを殺害する準備等をしていたことが認められる。

これらの事実関係に照らすと、確かに、被告人やDの行為は教団に敵対する行動であり、前記教団の論理からすると、被告人があくまでDを殺害するように説得するAの言葉に逆らい、D殺害を強硬に拒否し続けたとすれば、被告人自身も殺害される可能性が存したとはいい得るが、被告人がD殺害を決意した時点では、右のとおり、Aは、被告人をしてDを殺害させることにより事態の収拾を図ろうとして、被告人に対し、被告人がDを殺害しなければならない所以を諄々と説いて聞かせているのであり、この時点でのAの意思として、被告人がD殺害を拒否した場合には、ただちにその場で被告人の殺害行為に移ろうということまで意図していたとは認められないというべきである。してみれば、「できなければお前も殺す。」というAの言葉も、被告人にD殺害を決意させるための脅し文句の一種と理解すべきものである。

(3) 以上のとおり、被告人がDの殺害を決意し、殺害行為に及ぶ時点においては、被告人は、教団施設内で両手に前手錠をされ、周囲を教団幹部に囲まれたうえで、AからDを殺害するように言われ、それができなければ被告人を殺すなどと言われたことは認められる。しかし、この時点でも、Aは、被告人に対し、被告人がむしろDに騙された被害者であるといった論調で話をし、被告人を家に帰す条件としてDの殺害を命じてからも、被告人がDを殺害する理由、教義上の正当性を被告人に説いて聞かせ、被告人が自らそれを承諾するように説得している状態であり、Aが、Dを殺害できなければ被告人を殺害すると言ったという点も、言葉による脅しに過ぎず、実際に、Aないしは周囲にいる教団幹部が、被告人に対し凶器を突き付けるなどしてDの殺害を迫ったという事実は認められないことに加え、前記第二に認定したとおり、Aは、被告人に対し、Dを殺害するよう命じた後、被告人が明確な答えをせず、時間を稼いでいる間に、被告人が乗車して来た車に関して質問をするなどしているのであって、Aが絶え間なく被告人にDの殺害を迫っていたわけでもないこと、さらに、被告人がDの殺害を決意したのは、右車に関する会話の後、二度目にDを殺すように言われた時点であること、被告人がDの殺害を決意するまでの間に被告人がDの殺害を拒絶したり、命乞いをするなどして事態が緊迫化するということもなかったことなどの事実が認められるのである。

(4) ところで、緊急避難における「現在の危難」とは、法益の侵害が現に存在しているか、または間近に押し迫っていることをいうのであり、近い将来侵害を加えられる蓋然性が高かったとしても、それだけでは侵害が間近に押し迫っているとはいえない。また、本件のように、生命対生命という緊急避難の場合には、その成立要件について、より厳格な解釈をする必要があるというべきである。これを本件についてみるに、右に認定した状況からすると、被告人があくまでもDの殺害を拒否し続けた場合には、被告人自身が殺害された可能性も否定できないが、被告人がD殺害を決意し、その実行に及ぶ時点では、被告人は、Aから口頭でDを殺害するように説得されていたに過ぎず、被告人の生命に対する差し迫った危険があったとは認められないし、また、この時点で、仮に被告人がD殺害を拒否しても、ただちに被告人が殺害されるという具体的な危険性も高かったとは認められないのであるから、被告人の生命に対する現在の危難は存在しなかったというべきである。したがって、被告人の行為は緊急避難行為には該当しない。

3 なお、被告人は、当公判廷において、D殺害を断れば、すぐその場で殺されると思った旨供述している。しかしながら、関係証拠によれば、被告人は、前記第二で認定した被告人が入室してからDの殺害を決意するまでの客観的状況、特に、AがD及びB子を悪し様に言い、被告人をDに騙された被害者だという見方をしていること、被告人に対してDを殺害するように言ってから、その理由。教義上の正当性を説明して被告人を説得していることなどをすべて認識把握していることが認められるほか、B子は、教団に入信してから本件当時までの間に、約四五〇〇万円のいわゆるお布施を行っているところ、被告人も、本件当時、Dから話を聞くなどして、B子が多額のお布施をしていることは知っていたこと、被告人が第六サティアンで教団信者らに捕まった時間で、信者らに対し、自分達が帰らなければ警察が来ることになっているなどと言っていること、また、この時点では、被告人は、B子の息子であり、息子が母親を取り戻しにきたのであるから、そうひどい目に遭わされることはないであろうと思っていたこと、被告人は、平成四年ころ教団を脱会してからは教団とのかかわりを断っており、本件当時、教団によって殺害された者がいるとか、教団内でリンチ的な行為が行われているということは知らなかったこと、したがって、第二サティアン三階の「尊師の部屋」に入れられた後も、AからDを殺害するように言われ、それができなければ被告人を殺すと言われるまでは、被告人自身が殺されるということは全く考えていなかったこと、Aから右のように言われた後、被告人が乗車してきた車の話が出るや、同乗してきた父親や弟の身に危険が及ぶ可能性があったにもかかわらず、父親が同行して来ていることを明らかにしていることなどの事実が認められるのであり、これらの事実関係に照らすと、被告人自身、あくまでAの命令に逆らい、Dの殺害を拒否し続ければ自己の生命も危うくなるという認識は有していたとしても、Aが被告人にDを殺害させようとして説得している状態であったことからして、その時点で、Dの殺害を断っても、ただちに被告人が殺害されるような状態にはなかったことは十分に認識し得たというべきである。これを否定する被告人の公判供述は信用できない。してみると、被告人も、自己の生命に対する侵害が差し迫っているという認識までは有していなかったと認められるから、この点について被告人に誤想はなかったというべきであり、誤想避難も成立しない。

二  過剰避難の成否について

1 被告人の身体の自由に対する現在の危難が存在したことは、先に認定したとおりである。また、前記第二認定の事実関係からすると、被告人は、Aから家に帰す条件としてDを殺害するように言われ、自己の身体の拘束状態を脱するためにD殺害を決意し、殺害行為に及んだことは明らかであるから、被告人に避難の意思も認められる。そこで、被告人のD殺害行為が、被告人の身体の自由に対する現在の危難を避けるために「已むことを得ざるに出でたる行為」といえるか否かを検討する。

2 緊急避難、過剰避難の成立要件である「已むことを得ざるに出でたる行為」とは、当該避難行為をする以外に他の方法がなく、このような行為を行うことが条理上肯定し得る場合をいう。そして、本件のように、避難行為が他人の生命を奪う行為である場合には、右の要件をより厳格に解釈すべきことも前述のとおりである。

ところで、検察官は、被告人が、Aに対しD殺害を翻意するよう働きかけるなどDを殺害せずに済ませるための努力を全くしておらず、結果を回避するため十分な手だてを尽くしたとはいえないのであるから、被告人の行為が補充性をみたしているとはいえないし、被告人の身体の自由に対する現在の危難を避けるためにDの生命を奪うということは、法益の権衡を著しく失しているのであるから、被告人の行為は、避難行為の相当性をも欠いていると主張する。

しかしながら、

(1) 補充性の要件についていえば、被告人が避難行為に出る以前にどれだけの行為をしたかということが重要なのではなく、客観的にみて、現在の危難を避け得る現実的な可能性をもった方法が当該避難行為以外にも存在したか否かという点が重要なのであり、この観点からすれば、前述のとおり、被告人は、外部と隔絶された教団施設内で、両手に前手錠を掛けられたうえ、Aの面前で一〇名近い教団幹部に取り囲まれている状況にあったのであり、被告人が自力でこの拘束状態から脱出することや、外部に連絡して官憲の救助を求めることは不可能な状態にあったといってよい。また、前記のとおり、被告人やDの行った行為が教団破壊行為であり、教祖であるAが、教団の教義に基づき、被告人をしてDを殺害させることによって事態を収拾しようと考え、その旨を周囲にいた教団幹部に話している以上、被告人にAの翻意を促す説得行為を要求してみたところで、被告人の身体の拘束が解かれる現実的な可能性はほとんどないといわざるを得ない(現に、被告人は、Aから家に帰してやる条件はなんだと思うかという趣旨の質問を受け、教団に戻って一生懸命修行する旨回答しているが、Aからは、それもあると言われただけで、結局、修行をすることに加えてDを殺害するように命ぜられているのである。)。このように状況からすると、被告人は、Aの意思によって身体の拘束を解かれる以外に監禁状態から脱するすべはなく、Aの意思によって身体の拘束を解かれるためには、Dを殺害しなければならないということに帰するのであって、結局、被告人が身体拘束状態から解放されるためには、Dを殺害するという方法しかとり得る方法がなかったものと認めざるを得ない。

(2) 次に、相当性の要件について検討するに、本件では、侵害されている法益が被告人の身体の自由であり、避難行為によって侵害される法益がDの生命であることから、これを単純に比較すれば、当初より法益の均衡を著しく失しているともいえ、自己の身体の拘束状態を脱するために他人の生命を奪う行為に出るということは、条理上これを肯定することができないというべきであるから、その点からすると、避難行為の相当性を欠くとの検察官の主張もあながち理解できないわけではない。しかしながら、前述のとおり、被告人が現に直面している危難は被告人の身体の自由に対する侵害であるが、被告人に対する侵害そのものはこれにとどまるものではなく、危難の現在性は認められないとはいえ、被告人があくまでもこれを拒否すれば被告人自身の生命に対しても侵害が及びかねない状況も他方では認められるのであり(現に、被告人は、Aから脅し文句の一つとはいえ、Dを殺せないのならば被告人も殺すと言われており、また、前記第二で認定したとおり、被告人がD殺害行為に着手した後のことではあるが、被告人がなかなかDを殺害できないでいるときにも、Aから、「これでDを殺せなかったら、お前のカルマだから諦めろ」とも言われている。)、当面被告人が避けようとした危難が被告人の身体の自由に対する侵害であったとしても、その背後には、危難の現在性はないとはいえ、被告人の生命に対する侵害の可能性もなお存在したといい得るのであるから、このような状態下で、被告人の身体の自由に対する侵害を免れるためにDの殺害行為に出たとしても、このような行為に出ることが条理上肯定できないとまではいえない。したがって、被告人のD殺害行為について、避難行為の相当性も認められるというべきである。

3 以上の次第で、被告人のD殺害行為は、被告人の身体の自由に対する現在の危難を避けるために、已むことを得ざるに出でたる行為とは認められるが、他方、被告人は、自己の身体の自由に対する危難から逃れるために、Dを殺害したのであって、法益の均衡を失していることも明らかであるから、結局、被告人の行為には、過剰避難が成立するといわなければならない。

三  適法行為の期待可能性の存否について

1 弁護人は、本件当時の客観的状況及び被告人の主観的心理状態に照らせば、Aの命令に反抗してDの殺害を拒否することを被告人に期待することは不可能であり、適法行為の期待可能性は存在しないと主張する。確かに、当該行為が行われた具体的状況を前提として、行為者に、当該違法行為を行わず他の適法行為を行うことが全く期待できない場合には、超法規的に責任が阻却され得ると解される。しかしながら、当該行為が構成要件に該当し、違法であって、かつ、故意・過失、責任能力が認められ、しかも、法の認める責任阻却事由が認められない場合には、当該行為を非難し得ることがほとんどであって、にもかかわらず当該行為を非難し得ないという事態は極めて例外的な場合に限られると考えられることに加え、期待可能性の理論の安易な適用は、弁護人も論じているように刑法の規範力を無力化してしまうことを考慮すると、期待可能性の理論による責任の阻却は、厳格な要件の下に認められるべきであり、客観的にみて当該行為が心理的に抵抗できない強制下において行われた場合など、極限的な事態において初めて責任が阻却されるにとどまるというべきであろう。

2 これを本件についてみるに、被告人がD殺害を決意し、これを実行した際の具体的状況は、前記認定のとおり、外部と隔絶した教団施設内において、両手に前手錠を掛けられ、教団の教祖たるAの面前において、Aを絶対視する一〇名近くの教団幹部に周りを囲まれる中で、AからDを殺害するように言われ、それができなければ被告人を殺すと言われて脅されるなどしたというものであり、身体の自由を拘束され、また、被告人の生命に対する危険性も全くなかったとはいえない状況であったことは認められるものの、他方、前述のとおり。被告人の生命に対する危険性は未だ間近に切迫しておらず、被告人がDの殺害行為を拒否したとしても、ただちに被告人の生命が危うくなるような緊迫した状況にはなかったと認められるうえ、被告人の周囲を教団幹部が取り囲んでいたとしても、この時点では、Aは、口頭で被告人に対しDを殺害するように説得している状態であり、被告人に凶器を突き付けるなどして有無を言わせずDの殺害を迫るといった状況にもないのであるから、当時の被告人が心理的な強制下にあったとは認められない(前述のとおり、この時点では、被告人において、自己がDの殺害を断ったとしても、ただちに殺害されるような状態になかったことは十分認識していたと認められるから、この点に関する誤想も認められない。)。してみると、右のような状況においては、たとえDの殺害が被告人の身体の拘束を解く条件であったとしても、被告人としては、これを拒否するなどしてD殺害を回避しようとすること、あるいはAに対してDの助命を嘆願し、翻意を促すなど、その場でDを殺害しないでも済むような努力をすることができたと考えられ、被告人に対し、D殺害行為に出ないことを期待することは可能であったと認められるし、被告人の立場を一般通常人に置き換えても、本件の具体的状況の下では、D殺害行為に出ないことを期待することは可能であったと認められるのである。

3 以上の次第で、被告人に対しては、D殺害行為に出ないことを期待することが可能であり、適法行為の期待可能性が存在していたと認められるのであるから、被告人のD殺害行為について、種々の状況に照らして、被告人の責任が減少することはあり得ても、その責任が阻却されることはないというべきである。

第四  結論

これまで検討したとおり、被告人が本件殺害行為を決意し、その実行に及んだ時点においては、被告人の生命に対する現在の危難が存在せず、この点について被告人に誤想もないのであるから、被告人の本件殺害行為は、緊急避難、誤想避難のいずれにも該当せず、また、右時点において、被告人には、適法行為の期待可能性も存在したと認められるから、その責任も認められるが、被告人の本件殺害行為が過剰避難に該当することは前述のとおりであるから、この限度において弁護人の主張は理由があるというべきである。

(法令の適用)

罰条 平成七年法律第九一号附則二条一項本文により同法による改正前の刑法(以下、「改正前の刑法」という。)六〇条、一九九条

刑種の選択 有期懲役刑

未決勾留日数 改正前の刑法二一条(二八〇日を算入)

執行猶予 改正前の刑法二五条一項

(量刑の理由)

本件は、教団の元信者であった被告人が、同じく教団の元信者であった被害者に誘われ、同人と共に、教団の施設内で病気治療中の被告人の母親を同施設から連れ出そうとしたところ、教団信者らに見つかって取り押さえられ、その後、別の教団施設内の一室に連行されたうえ、両手に手錠を掛けられ、教団幹部に取り囲まれる中、教団代表者であったAから命令されて被害者の殺害を決意し、Aらと共謀のうえ、教団幹部に押さえ付けられた被害者の頚部をロープで絞めて殺害したが、被告人の右行為は過剰避難に該当するという事案である。

まず、本件犯行の全体的な情状をみるに、本件犯行は、教団施設内に侵入し、被告人の母親を連れ出そうとするなどした被告人と被害者の処分について、Aが、I、Fら教団幹部の意見を聞いたうえで、被告人をして教団に対する敵対行為を働いた被害者を殺害させることが、教団の教義にかなうとして行われたもので、Aを中心とする教団の組織的な犯行であるとともに、教団の独自の論理に基づく私的制裁であって、その動機も、著しく反社会的なものであり、酌量の余地は全くなく、まことに悪質極まりない。犯行の態様をみても、被害者が信者らに催涙スプレーを噴きかけたことから、被害者の頭部にビニール袋を被せ、その中に催涙スプレーを噴射させるなどして苦痛を与えたうえ、助命嘆願の叫びをあげ、必死に抵抗する被害者の身体を多数の教団幹部が押さえ付け、その頚部にロープを巻いて締め付け、ついには被害者を窒息死させているのであって、その犯行態様は、残忍、冷酷であり、心胆寒からしめるものがある。本件犯行の結果、被害者は、多大な苦痛に曝されたうえ、未だ二〇代の若さにしてその生命を奪われたのであり、被害者の無念はもとより、残された遺族の悲嘆の情も察するに余りある。さらに、本件犯行後、被害者の遺体は、マイクロ波を用いた死体焼却装置で焼却され、一片の遺骨も残らなかったことを考慮すると、本件犯行は、まことに悪質といわなければならない。

次に、被告人の個別的な情状をみるに、被告人は、後述のとおり、その経過に同情すべき点が認められ、また、被告人の行為は過剰避難行為に該当するとはいえ、未だ自己が殺害されるという切迫した危険性はなく、被告人自身そのことを認識している状況下で、被害者が、被告人の母親を助け出すために教団施設内に忍び込み、そのために命を奪われようとしているのに、被害者の殺害を拒否したり、被害者の助命嘆願を行うなど、被害者の命を救う方法等を何ら模索することもなく、Aの意のままに被害者の殺害行為を行っているのであって、この点では、被告人の本件犯行は、いささか自己中心的であったとの謗りを免れない。被告人は、本件犯行において、被害者に催涙スプレーを噴きかけたり、もがき苦しむ被害者の頚部を必死になって長時間締め続けるなど、実行行為の主要な部分を自ら行っており、その結果、被害者が死亡していることを考慮すると、その限りでは、被告人の責任も相当に重いといわなければならない。

しかしながら、他方、判示認定のとおり、被告人は、教団施設内の密室で、両手に前手錠をされ、周囲を教団幹部に取り囲まれて逃げ場もなく、また、被告人の対応いかんによっては、被告人自身も殺害される可能性もあり得る状況下で、自己の身体の自由に対する現在の危難を避けるために、やむなく本件犯行を犯しているのであって、被告人が自分自身の身体、生命に対する恐怖を感じる中でかかる選択を行ってしまったことも理解でき、この点では、犯行に至る経過には十分同情の余地があること、また、右のような経過に照らせば、被告人は、実行行為の主要部分を自ら行ったとはいえ、本件犯行の主犯は教祖であるAというべきであり、被告人の立場は従属的なものであったといえること、被告人の行為は過剰避難行為に該当することなどの点にかんがみると、被告人の行為を強く非難することはできない。以上に加えて、被告人は、本件犯行を反省しており、遅ればせながら遺族に謝罪の手紙を書くなど、それなりに慰謝の措置を講じていること、被告人にはこれまで前科がないこと、被告人の父親が被告人の更生に協力する旨約束していること、本件犯行後、被告人自身も教団から拉致されそうになるなど、逮捕されるまで教団の影に怯える生活を続けてきていたことなど、被告人に有利又は同情すべき事情も多々認められる。

以上の諸事情を総合考慮すると、被害者の殺害行為を自ら行った被告人の責任を軽視することはできないが、被告人をただちに実刑に処することは酷に過ぎると考えられ、その刑の執行を猶予するのが相当である。

(裁判長裁判官 仙波厚 裁判官 宮崎英一 裁判官 高橋康明)

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